秋田はやはり美人が多かった
5/3 晴れ
昨日は大潟の道の駅で地元の写真クラブの写真展が開催されていた。写真はそれなりに綺麗に撮っていたが特に気を引くような感動する写真はなかった。それより受付の方が女の子がきれいで感動した。秋田美人で色が白く写真より数段レベルが上だった。
夜テントを張っていると親子連れが入ってきた。父親は60歳位で息子さんは20歳位の男の子だった。男の子は身長が180cm位あり少し肥満気味の大きな体をしていて、言葉があまり喋れない様子だった。
父親の話では息子さんは施設に入っていて知的障害があり、自己表現があまり出来ないと言っていた。施設に預けていると体重管理が出来たていいのだけど、やはり可哀想なので休みは連れ出して、好きなものを食べさせていると言っていた。
すると体重が何キロか増え、施設の方から怒られるそうだ。普通の男なら反抗期があり親の言うことはあまり聞かないようになるが、この子はいつまで子供の頃と変わらず、純朴で何でも素直に聞くと言っていた。
父親の子供を見る眼差しを見ていると可愛くて仕方ないような表情をしていて、親子の絆、愛情を深く感じた。この幸せそうな二人を見ていると親子とは本当に良いもんだなーと思い心が和んだ。
駅を6時過ぎスタート、今日は海沿いの101号線を歩く予定だったが迷いに迷って国道を歩くことにした。しばらく単調な道を歩いていると交差点があった。このまま歩いても同じような道のようなので思い切って左折して海沿いに道を目指して歩いた。
ところが、これが大きな誤算だった。道の横に大きな水路(池)があり、道と平行してあった。所々で車が止まって釣り(バス釣り)をしていた。
このままいけば30分もしないで旧道に出ると思っていたが水路は湾曲していて、いつまで経っても旧道に出られず、とうとうスタートした道の駅近くまで戻ってしまった。
大変なロスだ。時間にして1時間以上は無駄にしたようだ。仕方ないので気を取り戻し、又、旧道を歩きした。
大潟村の干拓が広がる道をとぼとぼ歩いていると軽トラックに乗った夫婦から声をかけられる。農作業からの帰りのようだ。トラックの窓から「日本一周ですか、大変でですね」と声をかけられた。この道を聞こうと車を覗いたら、となりにきれいな奥さんが座っていた。少し日に焼けていたが、まさに秋田美人そのものだった。
私は「秋田美人ですね」と言うと「化粧をすればまだきれいなんですが」と微笑んだ。隣にいたお父さんに「こんなきれいな奥さんがいて幸せでしょう」と言うと照れる様にはにかんでいた。「がんばってください」と言ってトラックは幸せの煙上げて走っていった。良い夫婦だなと思った。
14時過ぎ国道沿いに念願の散髪屋があった。とりあえず武蔵号を中に入れさせて頂き、久しぶりに散髪することにした。問題は伸びに伸びた髭をどうするかだ。さっぱり剃ってしまおうかと思ったが店の人が「髭が似合うのできれいに手入れすれば問題ないですよ」と言うので全体的に髭を短く揃え、顎の下は半分ぐらいカットした。
髪をカットしてくれたのは30台前後の女性でこれが又、秋田美人だ。ハサミの使い方も巧みで、行橋あたりのおばさんがジョギ、ジョギとカットするのとは雲泥の差があった。終わった後に鏡で自分の顔を見ると、これなら女の子も怖がって逃げないかも知れないなと思った。
今日の宿泊先の道の駅には16時45分に着いた。肝心の休憩室は18時で閉まるので取り合えず食堂で食事をしてどうするかを考えた。近くにJR駅があると言うので食堂の人に聞いてみたら「あそこは時々首をつる人がいるので行かない方が良い」と教えてくれた。もし知らないで駅で寝ていたら亡霊でも出たかもしれない。
仕方がないので道の駅のトイレに行く通路にテントを張ることにした。通路はかなり広く中庭のような箇所があったのでそこの横にテントの張る場所を確保した。
テントを張っていると60歳位の女の人から話かけられた。旅の苦労話やこれからの事を話しているとパックに入ったごはんを3個持ってきてくれた。
しばらくしてから今度は連れの人が、何かに役立つのではと、フックの付いたゴムバンドを持ってきてくれた。好きで歩いているだけなのに、見ず知らずの人にこんなにまで親切にして頂き本当にありがたいなと思った。こちらから何もしてやれる事が出来ないのでブログを書いた名刺を渡し礼をいった。夜は多少の出入りはあったが23時過ぎに寝ることが出来た。
今日の写真
庭先に植えられていたシバ桜?
何処までも続く大潟村の道
どこの家庭にも備え付けられている大型の灯油タンク
鑑定団行き 日石のスタンド
可愛かったのでパチリ お母さんも秋田美人でした
太種町 八竜で
散髪でさっぱり自画像
昨日は大潟の道の駅で地元の写真クラブの写真展が開催されていた。写真はそれなりに綺麗に撮っていたが特に気を引くような感動する写真はなかった。それより受付の方が女の子がきれいで感動した。秋田美人で色が白く写真より数段レベルが上だった。
夜テントを張っていると親子連れが入ってきた。父親は60歳位で息子さんは20歳位の男の子だった。男の子は身長が180cm位あり少し肥満気味の大きな体をしていて、言葉があまり喋れない様子だった。
父親の話では息子さんは施設に入っていて知的障害があり、自己表現があまり出来ないと言っていた。施設に預けていると体重管理が出来たていいのだけど、やはり可哀想なので休みは連れ出して、好きなものを食べさせていると言っていた。
すると体重が何キロか増え、施設の方から怒られるそうだ。普通の男なら反抗期があり親の言うことはあまり聞かないようになるが、この子はいつまで子供の頃と変わらず、純朴で何でも素直に聞くと言っていた。
父親の子供を見る眼差しを見ていると可愛くて仕方ないような表情をしていて、親子の絆、愛情を深く感じた。この幸せそうな二人を見ていると親子とは本当に良いもんだなーと思い心が和んだ。
駅を6時過ぎスタート、今日は海沿いの101号線を歩く予定だったが迷いに迷って国道を歩くことにした。しばらく単調な道を歩いていると交差点があった。このまま歩いても同じような道のようなので思い切って左折して海沿いに道を目指して歩いた。
ところが、これが大きな誤算だった。道の横に大きな水路(池)があり、道と平行してあった。所々で車が止まって釣り(バス釣り)をしていた。
このままいけば30分もしないで旧道に出ると思っていたが水路は湾曲していて、いつまで経っても旧道に出られず、とうとうスタートした道の駅近くまで戻ってしまった。
大変なロスだ。時間にして1時間以上は無駄にしたようだ。仕方ないので気を取り戻し、又、旧道を歩きした。
大潟村の干拓が広がる道をとぼとぼ歩いていると軽トラックに乗った夫婦から声をかけられる。農作業からの帰りのようだ。トラックの窓から「日本一周ですか、大変でですね」と声をかけられた。この道を聞こうと車を覗いたら、となりにきれいな奥さんが座っていた。少し日に焼けていたが、まさに秋田美人そのものだった。
私は「秋田美人ですね」と言うと「化粧をすればまだきれいなんですが」と微笑んだ。隣にいたお父さんに「こんなきれいな奥さんがいて幸せでしょう」と言うと照れる様にはにかんでいた。「がんばってください」と言ってトラックは幸せの煙上げて走っていった。良い夫婦だなと思った。
14時過ぎ国道沿いに念願の散髪屋があった。とりあえず武蔵号を中に入れさせて頂き、久しぶりに散髪することにした。問題は伸びに伸びた髭をどうするかだ。さっぱり剃ってしまおうかと思ったが店の人が「髭が似合うのできれいに手入れすれば問題ないですよ」と言うので全体的に髭を短く揃え、顎の下は半分ぐらいカットした。
髪をカットしてくれたのは30台前後の女性でこれが又、秋田美人だ。ハサミの使い方も巧みで、行橋あたりのおばさんがジョギ、ジョギとカットするのとは雲泥の差があった。終わった後に鏡で自分の顔を見ると、これなら女の子も怖がって逃げないかも知れないなと思った。
今日の宿泊先の道の駅には16時45分に着いた。肝心の休憩室は18時で閉まるので取り合えず食堂で食事をしてどうするかを考えた。近くにJR駅があると言うので食堂の人に聞いてみたら「あそこは時々首をつる人がいるので行かない方が良い」と教えてくれた。もし知らないで駅で寝ていたら亡霊でも出たかもしれない。
仕方がないので道の駅のトイレに行く通路にテントを張ることにした。通路はかなり広く中庭のような箇所があったのでそこの横にテントの張る場所を確保した。
テントを張っていると60歳位の女の人から話かけられた。旅の苦労話やこれからの事を話しているとパックに入ったごはんを3個持ってきてくれた。
しばらくしてから今度は連れの人が、何かに役立つのではと、フックの付いたゴムバンドを持ってきてくれた。好きで歩いているだけなのに、見ず知らずの人にこんなにまで親切にして頂き本当にありがたいなと思った。こちらから何もしてやれる事が出来ないのでブログを書いた名刺を渡し礼をいった。夜は多少の出入りはあったが23時過ぎに寝ることが出来た。
今日の写真
庭先に植えられていたシバ桜?
何処までも続く大潟村の道
どこの家庭にも備え付けられている大型の灯油タンク
鑑定団行き 日石のスタンド
可愛かったのでパチリ お母さんも秋田美人でした
太種町 八竜で
散髪でさっぱり自画像
by musashigaiku | 2010-05-03 20:19 | 秋田県