41年前の思い出の矢賀町へ
10/18 晴れ
昨日の天応駅の待合室は広くてきれいでテントも問題なく張れた。今日はゆっくり寝れるだろうと思っていたがスナックのコーヒーのせいかなかなか眠れなかった。以前はコーヒーを飲んでも問題なく寝れていたのに,最近はコーヒーを飲むと眠れなくなるようになった。この旅行中に体調の変化がおきたのかもしれない。
駅を5時55分にスタート。今日はどうしても行きたい場所がある。広島市内の矢賀町と言うところだ。ここは今から41年前、私が19歳の時に出張で国鉄の広島工場で働いていた時に間借りして生活していた所なのだ。
親元を離れて生活するのはこの時が初めてで青春時代のなつかしい思い出が一杯詰まっている場所なのだ。当時母屋があってそこにおばあちゃんと小学校1年ぐらいの女の子が住んでいて私は隣の小さな家を借りていた。
時々、風呂もいれて頂きとても親切なおばあちゃんだった。その女の子が時々私の部屋に遊びにくるようになりギターを教えてやったりしていたので、仲良しになり非常になついていた。
私が仕事の任期がきて帰る時、その女の子が嫌だ嫌だといって泣いて大変だった。来年必ず来るのでと約束して指切りをして、後ろ髪を引かれる思い出帰っていったのを覚えている。
しかし私は約束を破り結局女の子に会いにいかなかったのだ。今となって何で行かなかったのかも覚えてもいない。その事はずーと気がかりになっていたので今回の旅で是非訪ねていきたいと思っていたのだ。しかしここの住所も家の名前もわからず、僅かな記憶を頼りに行くしかないのだ。まるで雲をつかむような話だ。
取り合えず 矢賀駅を目指して歩くことにした。9時半ん安芸区に入り10時に船越町、矢賀駅が非常に分かりにくいので通りがかりの人に聞いていこうとしたら、その方が自転車で駅まで連れていつてくれた。矢賀駅に11時に着く。
当時働いていた国鉄の工場はすぐ分かったのだが、当時住んでいた家はよく分からないので駅でこの近くの地図を貰い地図を頼りに歩くことにした。1時間ぐらい歩いたが41年前のことなので家も大きく様変わりしていて、やはりわからなかった。
一箇所それらしい家があったのがが留守で確認できなかった。本当に雲をつかむような話なので多分、分からないだろうと思っていたがその通りだった。当時、親父から来た手紙があったのだが、それがあれば住所もわかるのだが手紙も紛失して分からない。せっかく来たのだけど諦めて帰るしかない。自分なりに精一杯のことをしたので悔いはない。
広島はもう一箇所行きたい場所がある。原爆ドームと記念館だ。41年前に一度いったのだが改めて行きたいと思っていた。13時になか卯と言う食堂に入る。すき家のような系列の店でカレーとうどんのセットを食べる。非常に美味しかった。
14時に原爆ドームに着く。何枚か写真を撮って記念館(資料館)の方に行く。館内は小学生、高校生の修学旅行の団体客が大勢いて足の踏み場もないぐらいごった返していた。原爆投下時の時間で止まった地時計や焼け爛れた服、皮膚がケロイドになった写真等改めて原爆の恐ろしさを身に染みて感じた。1時間ぐらい見学して2号線まで戻る。
16時10分大田川、16時55分草津、この先、二日市手前にネットカフェがあると聞いているのでそこまで目指して歩く。カフェに着いたのが18時50分、今日はここで泊まることにした。ブログ更新して22時に寝る。
今日の写真
お世話になった天応駅
車輪のデザイン
矢賀駅
間借りしていたそれらしい家
ビルの写り込み
古い電車
新しい電車
5つの顔
原爆ドームと記念館1
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昨日の天応駅の待合室は広くてきれいでテントも問題なく張れた。今日はゆっくり寝れるだろうと思っていたがスナックのコーヒーのせいかなかなか眠れなかった。以前はコーヒーを飲んでも問題なく寝れていたのに,最近はコーヒーを飲むと眠れなくなるようになった。この旅行中に体調の変化がおきたのかもしれない。
駅を5時55分にスタート。今日はどうしても行きたい場所がある。広島市内の矢賀町と言うところだ。ここは今から41年前、私が19歳の時に出張で国鉄の広島工場で働いていた時に間借りして生活していた所なのだ。
親元を離れて生活するのはこの時が初めてで青春時代のなつかしい思い出が一杯詰まっている場所なのだ。当時母屋があってそこにおばあちゃんと小学校1年ぐらいの女の子が住んでいて私は隣の小さな家を借りていた。
時々、風呂もいれて頂きとても親切なおばあちゃんだった。その女の子が時々私の部屋に遊びにくるようになりギターを教えてやったりしていたので、仲良しになり非常になついていた。
私が仕事の任期がきて帰る時、その女の子が嫌だ嫌だといって泣いて大変だった。来年必ず来るのでと約束して指切りをして、後ろ髪を引かれる思い出帰っていったのを覚えている。
しかし私は約束を破り結局女の子に会いにいかなかったのだ。今となって何で行かなかったのかも覚えてもいない。その事はずーと気がかりになっていたので今回の旅で是非訪ねていきたいと思っていたのだ。しかしここの住所も家の名前もわからず、僅かな記憶を頼りに行くしかないのだ。まるで雲をつかむような話だ。
取り合えず 矢賀駅を目指して歩くことにした。9時半ん安芸区に入り10時に船越町、矢賀駅が非常に分かりにくいので通りがかりの人に聞いていこうとしたら、その方が自転車で駅まで連れていつてくれた。矢賀駅に11時に着く。
当時働いていた国鉄の工場はすぐ分かったのだが、当時住んでいた家はよく分からないので駅でこの近くの地図を貰い地図を頼りに歩くことにした。1時間ぐらい歩いたが41年前のことなので家も大きく様変わりしていて、やはりわからなかった。
一箇所それらしい家があったのがが留守で確認できなかった。本当に雲をつかむような話なので多分、分からないだろうと思っていたがその通りだった。当時、親父から来た手紙があったのだが、それがあれば住所もわかるのだが手紙も紛失して分からない。せっかく来たのだけど諦めて帰るしかない。自分なりに精一杯のことをしたので悔いはない。
広島はもう一箇所行きたい場所がある。原爆ドームと記念館だ。41年前に一度いったのだが改めて行きたいと思っていた。13時になか卯と言う食堂に入る。すき家のような系列の店でカレーとうどんのセットを食べる。非常に美味しかった。
14時に原爆ドームに着く。何枚か写真を撮って記念館(資料館)の方に行く。館内は小学生、高校生の修学旅行の団体客が大勢いて足の踏み場もないぐらいごった返していた。原爆投下時の時間で止まった地時計や焼け爛れた服、皮膚がケロイドになった写真等改めて原爆の恐ろしさを身に染みて感じた。1時間ぐらい見学して2号線まで戻る。
16時10分大田川、16時55分草津、この先、二日市手前にネットカフェがあると聞いているのでそこまで目指して歩く。カフェに着いたのが18時50分、今日はここで泊まることにした。ブログ更新して22時に寝る。
今日の写真
お世話になった天応駅
車輪のデザイン
矢賀駅
間借りしていたそれらしい家
ビルの写り込み
古い電車
新しい電車
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原爆ドームと記念館1
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by musashigaiku | 2010-10-18 21:24 | 広島県